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2008年10月08日 物理は苦手だったなぁ [日常(思い出話)]

2008年10月08日 物理は苦手だったなぁ
10月8日(水) 雨のち曇り 東京 20.5度 湿度 85%(15時)

明け方、激しい雨音で、目が覚める。
ああ、寝てしまった・・・。
それにしてもよく降るなぁ(降水量51.0mm)。

5時半、起床。

シャワーを浴びて、身体と髪を洗う。

ノーベル物理学賞のことを「日記」に書く(別掲)。

高校時代の私、理科4教科の中で、お家芸(ずっと学年トップ)の地学、理系に伍して学年トップを競った化学、子供の頃から好きだった生物に比べて、物理はいちばん苦手だった。
というか、興味がわかなかった。
成績は、ずっと6~7(10点法)だったと思う。
これではまずいと思い、3年生2学期の期末試験だけ、特訓勉強して100点を取り、やっと8に引き上げた思い出がある。

だから、正直、よくわかなない。
それだけに、髪と鉛筆で宇宙の本質に迫る偉大な思考を為した先生たちを、素直に尊敬してしまう。

9時、化粧と身支度。

Vネックの黒のプルオーバー(7分袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ。

午前中、講義。

昼食は、いつものように回転寿司(6皿)。

13時半、仕事場に戻る。

溜まった新聞を読みながら、宅急便の配達を待つ。

めずらしく、佐川がペリカンに先着。

郵便局に出かけて、小包を受け取る。
中身は、講談社選書メチヘの『性欲の文化史1』(別掲)。
私は「女装男娼のテクニックとセクシュアリティ」を執筆。

帯に藤色白抜きで、大きく「魏志倭人伝から女装男娼まで そそられる社会史」とある。
「男娼」という文字が、こんな大きな活字になったの、久しぶりではないだろうか?(苦笑)

18時半、自宅最寄駅前の「ドトール」で、仕事帰りのパートナーと待ち合わせ。
お茶と買い物をした後、いっしょに帰る。

19時半、帰宅。

夕食は、鶏のスパイス焼き、温かいお豆腐。
なめこと三つ葉のお味噌汁を作る。。
それと、いなだのお刺身。

巨人vs阪神の最終決戦、3-1で巨人が快勝。

ついについに、141試合目で今シーズン初の単独首位!
これで、優勝マジック2が点灯(残り3試合だけど)。
13ゲームの大差を追いついただけじゃなく、とうとうひっくり返しちゃった(別掲)。

夜のニュース。
アメリカのウッズホール海洋生物学研究所の元・上席研究員下村脩さん(80)がノーベル化学賞を受賞。
オワンクラゲの発光の仕組みを研究し、緑色蛍光たんぱく質を分離、構造を解明した業績。

これで、今年は日本人4氏がノーベル賞を受賞する大当たり年に。
でも、この方も典型的な頭脳の海外流出なのだよね。

お風呂に入って、髪を洗う。

寝支度しているパートナーが、いきなり「あっ!忘れてた!」と言う。
なにかと思ったら「結婚記念日」
そうだった。私も忘れてた、10月4日・・・・。
もう4日も前じゃないか・・・。
ん?そもそもその日は出張で家にいなかったな。

「で、何回目だっけ?」
「22回目にゃ」
「それはちゃんと覚えてるのね」
「にゃ」

まあ、お互い忘れてたので、トラブルはなし。

夜中、明日の講義のレジュメを作る。

その後、溜まっている事務処理。
諸方にメールのお返事を書く。

就寝、5時。

2008年01月01日  懐かしいメール [日常(思い出話)]

2008年01月01日  懐かしいメール
1月1日(火・祝)

留守中に溜まったメールをチェックしていたら、15年前の「元彼」Yさんからのメールを発見。

私のサイトに「ふと、久々に」寄って、メールを送ってくれたらしい。
6年ほど前に短いメールをもらったことがあったので、まるまる15年ぶりではなかったけども、超久しぶり。

びっくり! うれしい! 懐かしい!
いちばんのお年玉。

私は、『Queer Voices from Japan』(2007年4月 ロンドン)という本に収録された「My Life a“Woman”」という題の「自伝」の中の「男たちとの夜-セクシュアリティの開花-」という章で、「Yさん」とのことを次のように記した。

ちょっと恥ずかしいけども引用してみる。

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初めの1回はひたすら痛かった。しかし、Yさんがテクニシャンだったせいか、それとも私に秘められた才能があったせいか、2回目の行為で受身の性的快感をしっかり得ることができた。彼との関係は数ヵ月に1度のペースで2年ほど続いた。六本木の喫茶店で待ち合わせて、食事をして、軽く飲んで、ホテルでセックスを楽しむという普通の若い女性と同じデートコースは、「籠の鳥」だった私が社会的な女性性を身につける上で貴重な体験だった。最初の「彼」としてはつくづく良い人に当たったと思う、今でも時々懐かしく思い出す。
-------------------

私の気持ちは、今でも、この文章の通り。

つまり、37歳の遅い遅いロスト・ヴァージンの相手。
それまで「男嫌い」を通していた私を愛してくれた最初の彼。
「女」としての私を作ってくれた人のひとり。
その後、私の身体の上を過ぎていったたくさんの男性の内で、今でも懐かしく思い出す、心から感謝している数少ない(2人だけ)男性。

根っから女装者&ニューハーフ好きだった彼も、女性と結婚して、ある地方都市で会社の取締役として忙しい日々を送っているらしい。

出会ったとき、30歳のシティ・ボーイだった彼も、もう40代半ばだそうだ。
7歳も年上(当時の私は、相当にサバを読んでいた)の私が、すっかり「おばちゃん」になるのも当たり前。

でも、まあ、お互い、良い年の取り方をしていることを願いましょう。

そして、いつか再会して、懐かしく昔話ができたら、いいなと思う。

さっそく、お返事を書く。


2007年07月17日 『サンデー毎日』のカラーグラビア [日常(思い出話)]

2007年07月17日 『サンデー毎日』のカラーグラビア
7月17日(火)

14日の「日記」(大雨の「きもの de 銀座」)に、『サンデー毎日』に連載されていた大出一博撮影「彩りの時-美しい四季・女性・着物-」展の感想を書いた。

今、ちょっと文章に修正を加えていたら、突然、思い出した。
10年前、私も『サンデー毎日』の巻頭カラー・グラビアに着物姿で載ったことを。

たしか、6月30日、梅雨の合間のものすごく暑い日だった。
着ているのは、草色の笹の葉柄の綿紅梅(竺仙)。

撮影場所は、新宿御苑。
カメラマンは、もちろん大出さんではなかったが、毎日新聞社専属のカメラマン。

いくつものポーズを撮影した中で、担当記者(女性)も、カメラマンも、そしてモデルの私も、一押しだったのが、下に載せた写真。

さすがはプロのカメラマンの腕前。
池の水面を埋めた蓮の葉が夏の陽光にきらめき、それを背景に浮き上がるモデルを逆光気味にとらえている。
技術的にも、情緒的にも、とてもすてきな写真だと思う。
資料19.jpg
残念ながら、この写真は誌面を飾ることはなく、没に。
理由は、編集長(男性)の「女っぽ過ぎる」という一言。

まあ、世の中、そんなもの。

2007年06月14日 雨の日の思い出 [日常(思い出話)]

2007年06月14日 雨の日の思い出
6月14日(木) 雨 東京 24.8度 湿度 68%(15時)東京梅雨入り

9時頃、目を覚まして朝刊を読んだ覚えがある。
ところが、次に目が覚めたら14時だった。

この数日寝不足だったせいか、父親からの電話で「寝不足にならないように注意しろ」と言われた暗示か、それとも、しとしと雨が降る今日の暗い天気のせいか・・・・。

朝ご飯?は、巨峰ジャムを塗ったトースト1枚とコーヒー。

シャワーを浴びて、髪を高めのポニーテールに結ぶ。
10時間も寝たのに、そのわりには、身体の調子がよくない。
苦手な高湿度のせいだろうか。

ブログにいただいたコメントへのレスを書く。
それにしても「百合」ネタは反応がいいなぁ。

16時、雨の中、仕事場へ。

週末の京都出張の荷物と、お直しをお願いする帯の荷物を作る。
集荷を待つ間、新聞を整理。
荷物を出した後、思い立って長襦袢の袖口の汚れを部分洗いする。

19時半、仕事場を出る。
途中、「ドトール・コーヒー」で一服。

20時半、雨の中、帰宅。

夕食の仕度。
OGビーフのカルビ肉を焼く。
付け合せは、玉ねぎとピーマン。
白シメジとアスパラカスの炒め物を作る。
茄子を焼く。
それに、きゅうりとレタスのサラダ。

食後、メールのお返事書き(4通)。

お風呂に入り、髪を洗う。

夜中、『性の用語集:第2集」の第1次原稿を書く。
まずは、資料がまとまっていて書きやすい「シーメール」から。
3600字ほどにまとめる。

「日記(14日分)」を書く。

東京、やっと梅雨入り。
平年より6日遅く、近年では、1999年の6月17日に次ぐ遅い記録。

ところで、今日のような本降りの日は、濡れたスボンが脚にまとわりついて、なかなか乾かず、気持ちが悪い。

で、思い出した。
昔、昔のこと、初めてひどい雨の夜にミニスカート姿で出かけた。
趣味で女装していた頃は、雨がひどい日は「や~めた」で済んだが、曲がりなりにもお店のお手伝い(ホステス)をし始めたら、「今日は雨だから休みます」というわけにはいかなくなった。
雨の日は新宿駅から歌舞伎町の入口まで地下道(サブナード)を抜ける。
その夜は、かなりの吹き降りで、地下道の出口から区役所通りの店までの5分足らずの間に、かなり濡れてしまった。
ところが、店に着いて、チーママからタオルを借りてパンストにつつまれた脚をぬぐったら、30分もしないうちにすっかり乾いてしまった。
一方、接客している相手のおじさまたちの濡れたスボンはなかなか乾かない。
「ああ、雨の日は、ミニスカ&パンストって便利なんだなぁ」と、その時、初めて気づいた。

あれは、いったい何年前のことだったろう?
資料13.jpg
↑ 雨上がりの路上で(『週刊SPA!』1997年5月28日号)

就寝、5時。

2007年03月07日 元「性格系小悪魔」? [日常(思い出話)]

2007年03月07日 元「性格系小悪魔」?
3月7日(水) 晴れ 東京 10.9度 湿度 33%(15時)

8時半、起床。
朝食は、バタートースト1枚とコーヒー。

シャワーを浴びて、髪を毛先を出したお団子にまとめる。

午前中、講義。

昼食は、自由が丘の「フランス亭」でおろし紫蘇ハンバーグのランチ。

13時、予約を入れておいた「手もみん」へ。
1時間、じっくり揉んでもらう。
肩・背中・腰・脚どこも全部張っていて、やっとほぐれかけたかなと思ったところでタイムアップ。
でも、これ以上強く揉むと身体へのダメージが大きいの、難しい。

15時、仕事場に戻る。
花粉症の発作でダウン。
16~18時、夕寝。

少し良くなり、画像処理作業(8枚)。

20時半、帰宅。

夕食は、まぐろのしゃぶしゃぶ(野菜は、長ネギ、水菜、しめじ茸、えのき茸)。
残ったまぐろのさくの処理法として実験的にやってみたが、ポン酢醤油と大根おろしに七味唐辛子のたれで、けっこうおいしく食べられた。
1500円のさくで、3日間食べられたのだから、安いものだ。

夜になっても鼻水ぐしゅぐしゅでくしゃみ連発。
「日記」も書く気になれず、サイトを巡回していたら、ぼたん姐さんのブログに、「あなたの小悪魔道」というのが紹介されていて、おもしろそうなので、やってみた。
http://beautystyle.jp.msn.com/beauty/check/alternative.aspx/category=beauty/checktest=3/

結果は↓。

あなたの小悪魔タイプは「誘惑しちゃう!?性格系小悪魔」
あなたは外見を取り繕って誘惑するというよりは、相手を翻弄するテクに長けた、性格が小悪魔なタイプです。冷たくしたかと思えば甘えてみたり、時にほかの人に気があるふりをしたりするあなたに、オトコのペースは乱されっぱなし。「キミは僕のことどう思ってるの!?」なんて思わせる頃にはもう、オトコはあなたから離れられなくなっているって計算です。

10年前の私なら、けっこう当たってるかも。
10年前の順子は、男に惚れないたちなのに、男にちやほやされるのが好きで、おまけに男とSexするのも大好きという、いたって性質(たち)の悪い「女」だった。
いつでも誰でもOKという風情のときがあるかと思えば、100万積まれても嫌な時は嫌と断言するときもある、気まぐれもいいところ。

まじめで純情なタイプの男性には、なんとも扱いにくい「女」だったろう。
逆にプレーボーイタイプの男性には、お似合いの(都合のいい)「女」だったと思う。

ずいぶんいろいろ遊んだ過去があることを、私は否定しない。
ひっくり返る人がいると困るので、詳しくは書けないが、たいていのことはやった。

そのころのことを、今更ほじくり返して、まるで鬼の首でもとったように、「淫乱だ」「変態だ」と私を批判する連中もいる。

そういう下劣な批判に対しては、「あのころは、若気の至りで、まあいろいろありました。でも、それも含めて人生の糧だと思ってます」と答えることにしている。

男に一顧だにされないようなモテない「女」たちに比べたら、ずいぶんと楽しく豊穣で充実した「青春」だったと思う。

ともかく、その後、更生の努力をして、今ではすっかり善良な「おばちゃん」(笑)なのだから、それでいいじゃないか。

お風呂に入って、髪を洗う。
今日も早寝。
就寝、1時半。


2007年02月14日 バレンタインチョコの初体験は・・・ [日常(思い出話)]

2007年02月14日 バレンタインチョコの初体験は・・・
2月14日(水) 雨 東京 13.0度 湿度 82%(15時)

9時、起床。

シャワーを浴びて、髪をポニーテールに結ぶ。
朝食は、りんごパイ。

朝から久しぶりの本格的な雨。
郵便局に寄って、採点表を配達記録で郵送。

午前中、講義。

昼食は、回転寿司(7皿)。
ちと食べすぎた感じ。

学芸大学駅にもどって、コーヒー休憩。

13時半、仕事場に戻る。
メールチェックの後、『ニューハーフ倶楽部」の連載エッセーのゲラをチェック。

今日も身体がだるい。
昨日と同様、16~18時、2時間ほど夕寝。

12月中旬にはじめたMixiでいろいろ見ているうちに、昔の仲間を4人ほど発見。
マイミクのお願いメールを出す。

Mixi、最初は、着物関係限定で、「おばちゃん」のふりをしてようと思っていた。
でも、やっぱり昔の知り合いの動静が気になり、覗き見しているうちに「足跡」を残してしまい、文字通り足がついてしまった。

ということで、現在のマイミクのリストは、着物関係と女装関係が混在。
まあ、両方とも世の中の標準からすれば「怪しい人」だから、いいか。
って、その両方を兼ねている私が一番怪しいのか・・・・。

20時半、帰宅。

夕食は、父親が送ってくれた手製チャーシュー。
パートナーが買ってきた牡蠣フライ。
お豆腐と下仁田ねぎのお味噌汁を作る。

お風呂に入り、髪を洗う。

ところで、今日は、バレンタインデー。
チョコをもらう立場からあげる立場になった話は、昨年書いたので、繰り返さない。
「見せチョコの思い出」
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/200602140001/

ふと、最初にチョコをもらったのはいつだったろうと、考える。
中学校時代には、そういう風習は(少なくとも田舎には)まだ広まっていなかった。
高校時代も、チョコで騒いだ覚えがない。
つらつら思い出すと、浪人時代に付き合っていたガールフレンド(田舎の中学時代の同級生)からもらったのが最初のような気がする。
金色の紙に包まれたハート型チョコだったような・・・・(当時は、そんなに種類がなかったはず)。

彼女、どうしているかな。
絵が上手な娘で、東京の美大に進学したはず。
お互いぜんぜん違う分野の大学に進んで、自然消滅しちゃったので、その後の消息を知らない。
元気で幸せならば、もう孫がいるかも。

そうすると、私のバレンタインチョコの初体験は、1975年ころということになる。
バレンタインデーが大騒ぎになるのは1980年代、という私の説(昨年の「日記」)からすると、意外と早いなぁ・・・・。

夜中、「日記」を書く。

浅田次郎『憑神(つきがみ)』(新潮社 2005年9月)を読み始める。

就寝、4時半。

2007年01月02日 振袖を脱いだ思い出 [日常(思い出話)]

2007年01月02日 振袖を脱いだ思い出
1月2日(火) 曇り 東京 10.9度 湿度 37%(15時)

10時半、起床。

朝食は、マドレーヌ1個とコーヒー。

シャワーを浴びて髪を洗う。
ブローしてお団子にまとめる。

故郷で買ってきた、きのこを炒め煮にする。

次に、お雑煮を作る。
昆布と干し貝柱で取っただしを一煮立ちさせて、かつを節を大量に投入。
すぐに火を止めて、しばらくおいて、布巾で漉す。と黄金色。
この黄金色のだし汁をベースにして、干し椎茸で取っただし、野菜の煮汁、鶏肉の煮汁などを味見しながらブレンドし、塩・酒・醤油で味を調え、お雑煮に汁が完成。

お餅を焼き、具(鶏肉・大根・にんじん・椎茸・小松菜・かまぼこ)を、お丼に入れて、だし汁をかけてできあがり。

ウチのお雑煮の基本は、母方の江戸山の手(武家)風。
今年は、うっかり里芋を入れるのを忘れてしまったけども、年末に作り置きしておいた根菜の煮物に大量に入っているので、それで代用。

箱根駅伝(往路)を見ながら、お雑煮を食べる。
お雑煮の他には、きのこの煮物と、黄菊の花の酢の物。

駅伝は、4区と5区で追い上げた順天堂大学が昨年に続き鮮やかな逆転の往路優勝。
特に、5区の山登りのスペシャリスト今井選手は、5位からごぼう抜きでトップに立ち、驚異的な区間新記録を樹立。
私の関係校では、早稲田大学はまずまず健闘の4位。
中央大学は14位に沈み、23年ぶりのシード落ちの危機(シード権は10位まで)。

午後、「日記(30・31・1日)」分を書く。

夕食は、冷凍庫の整理のために解凍しておいたステーキ肉(2枚)を焼く。
今日は、タマネギに塩・こしょうだけのシンプルな味にする。
付け合わせは、炒めタマネギの外に、コンソメで煮ておいたにんじんと大根、それに椎茸をバターで軽く炒める。
肉汁をたっぷり吸った炒めタマネギが美味。

夕方~夜は、テレビを見ながらのんびり過ごす。

フジTV「新春 さんまのまんま」にゲスト出演の女優の釈由美子、黒地に桜散らしの振袖姿で登場。
まずまずよく似合っていた。
と思ったら、番組の途中で「帯が苦しい、脱ぎたい・・・・」と言い出し、「落語家なんで着物は得意」と言う明石家さんまが、ニヤニヤしながら帯締をほどき、帯の結びを解くというハプニング。
しかも、そのまま、だらり帯姿で出演を続けるという事態に。
基本的には、根性がある女優さんが耐えられないほど締め付けた着付けさんが下手なのだけど、そのまま出演を続けたのは、いくら何でもお行儀が悪すぎ。

と思った、おばちゃん、自分が昔、振袖を人前で生脱ぎしたことを思い出した。
それは自前の大振袖を最初に着たお正月(1996年)のこと。
14時くらいに着付けてもらい、湯島天神と花園神社(新宿)に初詣でして、伊勢丹のレストラン街で夕食を食べ、夜になって懇意のお店を数軒、お年賀廻り。
22時くらいに自分がベースにしていた店(歌舞伎町の「ジュネ」)へ行って、いつものように明け方まで、お手伝いホステスというスケジュール。

4時間ほど働いた(と言っても、大振袖姿では立ち働きはできず、ほとんどお人形状態)夜中の2時頃になって、どうにも我慢できないくらい身体が辛くなってきた。
着付けてから12時間が経過しているから無理もない。
幸い着付けてもらう前に着ていた洋服一式を大袋に入れて店に持ち込んでいたので着替えることに。

ところが、大振袖を脱ごうにも場所がない。
トイレは狭くて、着物を汚す可能性があるので、ママに止められる。
結局、お店のフロアー(絨毯敷き)で、お客さん(少なくとも5~6人はいた)に、袖や帯の垂先を持ってもらっての生脱ぎショー状態に。
さすがに、長襦袢姿になったところで、トイレに駆け込んけど、今にしてみると、つくづくはしたないことをしたものだ。
羞恥心の構造が、生まれつきの女性とは、やっぱり異なってるいのだろうなとも思う。

だけども、その時、お客さんの中に、けっこう喜んでいた人がいたのを思い出す。
しばらく経ってから「あれは色っぽくてよかった。興奮しちゃったよ」と言ってくれたお客もいた。
本人は、ともかく身体が辛くて、色気に配慮する余裕などなかったのだけど。

今回の釈由美子のケースも、最初はほんとうのハプニングだったのを、ディレクターが視聴者の生脱ぎ期待を考えて、そのままカメラを回し、放送に使ったのだと思う。

「日記(2日分)」を書く。
ちと難儀な、お返事メールを書く。


2005年12月29日 仕事納め・懐かしい電話 [日常(思い出話)]

2005年12月29日 仕事納め・懐かしい電話
12月29日(木) 晴れ

11時、起床。

朝昼ご飯は、昨日買ってきた中村屋のピロシキとカリーパン半個。

13時半、仕事場へ。
メールチェック、「日記」と「年末のご挨拶」のアップ、お返事メールの送信。
その後、画像の取り込み作業(5枚)。
16時、年内の業務終了。

ちょうど仕事を終えたところに、私が駆け出しの頃にお付き合いしていた男性から、電話がかかってくる。
けっこう社会的地位のある方で、当時60歳ちょっとくらいだったから、現在は70歳代半ばくらいだろう。
最初にお会いしたのはもう14年くらい前だろうか。
ベンツで私の部屋の近くまで迎えにきていただき、東名高速を御殿場まで走り、山中湖へ抜けてホテルで休憩して、中央道で東京に戻るというコースの半日のドライブだった。

その後も、晩秋の相模湖や、都内のホテルで3回ほどお会いした。
最後にデートしたのは、もう8年くらい前だと思うが、今でも年に1~2度、お手紙や電話をいただく。
こちらも求めに応じて写真などを差し上げる関係。
早い話、数少ない「順子ファン」の男性。

20分ほど近況報告や思い出話。
「声や話し方、もうすっかり女性そのものだね」と言われる。
そうなのだろうか?
自分では姿以上に、声は問題有りだと思ってるのだけど。

「来年こそ、一緒に食事でも」と言ってくださるが、社会的地位のある方は、お忙しいだけでなく、人目につくとまずいので、セッティングがむずかしく、なかなか実現しない。
最後にお会いした時も、某一流ホテルの高級中華料理店の個室だった。
昔を思い出して懐かしかったし、声の感じがお元気そうだったので一安心。

17時、近所の「天然温泉」へ。
お湯とサウナを行き来して、身体を温めてリラックス。
リバウンドが心配なので体重測定。
前回比+0.2kg。まあ、誤差の範囲。
(ダイエットスタートから、-9.7kg)

19時、帰り支度をして、溜まった新聞(1週間分)を抱えて、喫茶店へ。
コーヒーを飲みながら、必要な記事を抜く。

20時、帰宅。

夕食は、肉野菜炒めを作る。
それに東急ストアで買ってきた餃子。

食後、新聞の切り抜きと整理。
お風呂に入る。

年賀状(家族版)を書く(20枚)。
「日記」を書く。

就寝3時。

2006年07月28日 「となりのトトロ」/昭和30年代ブーム [日常(思い出話)]

2006年07月28日 「となりのトトロ」/昭和30年代ブーム
7月28日(金) 曇り

11時半、起床。

朝食は、トースト1枚、生ハム4枚、レタス&きゅうり。

午後、レポートを回収しに短大へ。
講師室で採点して、成績表も提出してしまう。

帰路、駅の蕎麦屋で昼食(冷やしかき揚げ蕎麦)。

16時、仕事場に戻る。
メールチェック、「日記」のアップなど。

18時、久しぶりに「手もみん」へ。
いつものマッサージさんに1時間じっくり揉んでもらう。
首、肩も凝っているが、予想以上にひどかったのは腰。
それが太腿(外側)から、膝下の異常な張りの原因になっているようだ。

20時、帰宅。

夕食は、豚肉のしょうが焼きを作る。
それに、赤貝とまぐろのお刺身。
私は、ほやの酢の物、あしたばの胡麻和え。

食後、子供と一緒に宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」(1988年)を見る。
昭和30年代の日本の田舎の情景、たしかに懐かしい。
描かれている水田、入道雲、里山、森、息を飲むほどに美しい。
姉妹と父が暮らす田舎は、ある意味での理想郷として描かれている。

しかし、当時を思い出してみた時、はたしてあの頃の日本はあれほど美しかっただろうか?
食膳にはちょっと目を離すと黒蝿が止まり、庭で遊んでいたら薮蚊に食われ放題だった。
畦道を歩けば、肥え溜の強烈な臭いがした。
舗装されていない道路は、お天気が続けば埃だらけ、雨が降れば水たまりだらけで、歩くのにたいへんだった。
現代では信じられないような貧しい人も多かった。
子供だって、青鼻を垂らしているような子はいくらでもいた。

ちょっと美化しすぎているように思う。
でも、現実主義者の私でさえ、トトロや猫バスがいたらいいなと思う。
だから、ヒットしたのだろう。

昭和33年を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)がヒットした昨年あたりから、昭和30年代ブームのようだ。
確かにあの頃から、日本人は必死に働き続け、高度経済成長を達成し、その結果、経済的な繁栄と飢えや寒さとは無縁な豊かな生活を得ることができた。
しかし、それと引き換えに、美しい自然と豊かな人情を失った。
だから、あの頃が、より懐かしく美しく思えるのだろう。

だけど、あの頃の生活に戻れるかと言えば、ほとんどの人は不可能だろう。
物質的豊かさとは麻薬のようなものだからだ。
私も自信がない。
戻る気がない、戻れないことがわかった上でのブームって、ちょっとどこか空しいかも。


昭和33年の私

お風呂に入った後、明後日からの家族旅行の支度をする。

夜中、『ニューハーフ倶楽部』の連載エッセー「フェイクレディのひとりごと 53」を書く。
テーマは「『女』として年をとる」。
1時間ほどで一気に書き上げる(1875字)。

強めのマッサージの後はいつものことだが、身体がとても辛い。
水分を多めに取って、疲労物質の早目の排泄を心掛ける。

『インド 第三の性を生きる-素顔のモナ・アハメド-』(青土社 2006年7月)を読み始める。

就寝、3時。

2012年07月27日  土用の丑の日の鰻 [食文化論]

2012年07月27日  土用の丑の日の鰻
7月27日(金)  晴れ 東京 34.2度 湿度60%

夕食は、「土用の丑の日」ということで、近所の魚屋さんに予約しておいた、鰻の蒲焼。
120727-1.JPG
この魚屋さんには、毎年、「丑の日の鰻」を予約しているのだが、今年は鰻のあまりの高騰で、6月の末に「今年は中止します」の貼り紙が出た。

ところが、「少し高くても・・・」という声が多かったのだろう。
7月になって「予約受けます。数量限定」の貼り紙が出た。
ただし、お値段は昨年の1800円から2200円に。

ということで、謹んでいただく。
白いご飯に載せて・・・・。
120727-3.JPG
冗談じゃなく、長年の大好物(私も家猫も子供も)の鰻が食べ納めになるかもしれない。

鯨がたどったと同じ道で、「生物保護」を掲げたアメリカの食糧政策(他国の食文化への不当介入・抑圧)が露骨になっているので。
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米がウナギ輸出入規制検討…稚魚不漁に追い打ち

価格高騰で、ウナギの消費者離れが進んでいる。

1世帯がウナギのかば焼きに費やした金額は5年前の3分の1。高騰の原因は稚魚の不漁だが、米国では輸出入の規制も検討されており、ウナギは“幻の食材”となってしまうかもしれない。

「かきいれ時なのに、暑気払いの接待がほとんど入ってない」と嘆くのは、さいたま市の老舗「中村家」。来店回数が月3回から1回に減ってしまった常連客が何人もいるという。「年々値段は上がり、客数は減るばかりだ」

総務省の家計調査でも、消費者がウナギのかば焼きを購入した金額(外食は含まず)は、急減している。2人以上の世帯が今年5月に払った金額は94円で、昨年5月の半分、5年前の3分の1だ。価格が上がっていることを考えると、消費量の減少は深刻だ。

価格高騰の背景には、3年連続という稚魚の記録的な不漁がある。国内で出回るウナギは、日本から2000キロ以上離れた太平洋のマリアナ海域で産卵。 孵化 ( ふか ) した稚魚は、海流に乗りながら、川への 遡上 ( そじょう ) を目指して日本周辺にやってくるとされる。この時期に国内外で稚魚の漁が行われ、半年から1年以上をかけて成魚に育てられる。

水産庁によると、国内のウナギ養殖業者が今期確保した稚魚は約16トンで、需要量(約20トン)の8割にとどまった。国内での漁獲量は3年連続で9トン程度にとどまっており、これまでは中国や台湾などからの輸入で埋め合わせていた。だが、今期は各国でも不漁となり、必要量を確保できなかったという。これに伴い、稚魚の取引価格も上昇。昨年は1キロ・グラム当たり87万円だったが、今年は200万円を超えているといい、小売価格に跳ね返っている状況だ。追い打ちをかけるように、米国がウナギをワシントン条約の規制対象とすることを検討している事実が判明した。実現すれば、ウナギの輸出入が厳しく制限される見込みという。

『読売新聞』2012年7月28日(土)10:51
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/business/20120727-567-OYT1T01014.html