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1999年9月30日 Y子さん&女王様との会食 [新・たそがれ日記]

1999年9月30日(Y子さん&女王様との会食)

今日は、仲良しのY子さん(作家)の取材を兼ねた夕食会にお付き合いしました。

取材インタビューをお願いしたのは、現役のSMの女王様!。
Y子さんは「支配と服従」をテーマにした小説を執筆中で、あたしもできるだけの情報提供やレクチャーはしたのですけど、残念なことに根っからマゾ娘のあたしには、女王様の心理はわかりません。
そこで、やっぱり本物の女王様に話をうかがうのが一番ということで、今夜のセッティングをした訳です。

会食の場所は、表参道に面したビルにある日本料理屋さん。
19時にあたしが一番乗りしてみると瀟洒な雰囲気の小ぢんまりしたお店で、テーブルとテーブルの間の間隔もあまり無く、果たしてこんな所でSMの話なんかしていいのかな、と一瞬心配になりましたけど、仲居さんが案内してくれたのは、4人用の個室スペースで、これなら大丈夫と安心しました(大丈夫じゃなかったんだなぁ、これが・・・)。

やがて、日ごろおしゃれな彼女にしては控え目なファッションでY子さんが到着、少し遅れて女王様がご来臨されました。
女王様は170cmを優に越えるスレンダーな長身、モデル並みの抜群のスタイル。ライトベージュのジャケットに黒の細身のパンツという一見さりげないファッションながら、ジャケットから覗く真っ赤なビスチェと高く結い上げた髪が、ただ者ではない雰囲気を漂わせています。

ちなみに、あたしは、袖と背中の上部がシースルーで胸元が大きく開いた黒のミニワンピース、アクセントとして(というかマゾ娘の象徴として)胸の谷間の左側(おっぱいの裾野)に、真っ赤な薔薇のタトゥーを貼ってます。

ビールで乾杯するのもそこそこに仕事熱心なY子さんは、MDをセットして女王様へのインタビューを開始します。
女王様もかたじけない事に「ちょっと古いものなのだけど具体的なイメージがあった方がいいと思って」とおっしゃって、以前、御自分が出られたSM雑誌のコピー数枚をテーブルの上に広げられます(女王様は律義なご性格とみえて、掲載誌の奥付けまでコピーされてきました。それを覗き見ると、1988年の発行で今から11年前のものです。どうりで写真の女王様のお顔がかわいらしいはずです。さっき自己紹介された時、女王様は「23歳です」とおっしゃってましたから11年前だと・・・、ん?)。

一気に話がはずみかけた頃、仲居さんが先付け(会席料理で一番最初に出て来るお料理)を持って入ってきました。
ところがテーブルの上は、男奴隷に馬乗りになってスパンキングする女王様etcの写真のコピーが広げられた状態。
あわててあたしがテーブルの上にスペースを作ってあげましたけど、かわいそうに仲居さんは「先付けでござ・・・(います)」で固まってしまいました。
しばらくして、松茸の土瓶蒸しを持って彼女が入って来た時には、「あの、お浣腸プレイって、どのくらい入れるのですか?」「そうねぇ、人によって違うけども、100ccの浣腸器で最低3回以上、普通は500ccくらいかしら。それ以上だとイルリガートルを使う事が多いわねぇ」「イルリガートルってなんですの?」と女王様とY子さんは浣腸プレイのお話の真っ最中。

仲居さんを上目遣いで観察すると、必死に平静を装ってはいるものの、目が完全に吊り上っちゃってます。
そうだろうなぁ、こんな珍しい客を担当したの、まず間違いなく初めてだろうし、と同情していると、その後、お料理を運んでくる仲居さんが次々に代わるのに気付きました。
どうも想像するに「ねぇねぇ、あたしの担当の個室のお客様、SMの女王様にインタビューしてるわよ!。しかも一人はニューハーフみたいなの」と担当の仲居さんが仲間にしゃべり、「え~っ、見たい見たい!次はあたしが運んでいく!」という事態になってる様子です。

お料理は手が込んだものが多くお味も上々で、インタビューも順調に進み、デザートを食べた所で、一応この場はお開きということになりました。
私たちが席を立つと、出口に仲居さんたちに加えて白の調理着姿の板長さんまで総出でお見送りです。
確かに会席コース3人分は上客でしょうけど、ちょっと大袈裟な感じがします。
やっぱりあたしたちを見に出て来たのでしょうか? 異様な雰囲気に気付いたY子さん、エレベーターの中で「ねぇ、順子ちゃん、ここお料理おいしかったけど、あたしもう恥ずかしくて来られないわ」と言います。「気付くの遅いのよぉ!、お姉様」。

時刻は21時半をすぎたところ。女王様が説明しくださったSM系のフェティッシュ・ファッション(ラバー、レザー、PVCなど)の素材感や用具のイメージを掴みたいというY子さんの希望で、タクシーに乗って女王様のご案内で、南青山の「AZURO」に向かいました。
「AZURO」が曙橋にあった頃には何度か訪れていますし、実は、その昔、「AZURO」主催のフェティッシュ・パーティに出席したことのある私ですけども、移転してからは初めての訪問でした。

店内におしゃれに展示された様々な衣装や用具、書籍を眺めている内に、しばらく縁遠かったSM世界が懐かしくなりました。そんな思いに浸っていると、Y子さんが「ねぇねぇ、順子ちゃん、なんでガスマスクが並んでるの?」などと質問してきます。
あたしがレクチャーすると、彼女は「ああ、そうなんだぁ」と言いながらメモを取ります。
こんなにSM世界のことを知らなくて、果たして女王様を主人公にした小説が書けるのかなぁ、と心配になるのですけども、こうした熱心な取材姿勢とその取材した素材を巧みに使ってストーリーを組み上げる豊かな構想力、いわば何もない所から魅力的な物語世界を作り上げる能力こそが、第一線で活躍す作家として彼女のすばらしさなのです。

「AZURO」の見学を終えて、3人で青山通りまで歩きました。
女王様とあたしは、もう1軒行きたいところですけど、小説の素材を山ほど仕入れてイメージが頭から溢れそうなY子さんは、飛んで帰ってワープロに向かいたい様子。

女王様のお酒のお相伴役はあたしが引き受けることにして「さあ、後はおネエ様の腕の振るいどころよ。頑張ってね」と見送り、あたしは、女王様と二人で新宿に向かいました。

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1999年9月26日 調べもの [新・たそがれ日記]

1999年9月26日(調べもの)

今日の午後、3時間くらいかかって、アマチュア女装雑誌『ひまわり』の全バックナンバー(40冊)を見返しました。
現在、私が執筆している「戦後日本トランスジェンダー社会史年表」の資料収集のためです。地に足が付いた取材で定評のある同誌だけあって女装関係のお店の開店時期など、数多くのデータを得ることができました。

この年表、すでに4万字を超える詳細なものになっています。ただ、年表というものは、いくら調べても調べ足りない部分が残るので、どこまで書いたら完成ということがなく厄介です。

ですから、適当なところで見切って発表しないといけないと思っています。
もう1~2ヵ月くらい補充調査をして、年内には原稿を完成し、来年の3月に中央大学の社会学研究室(矢島正見教授)から出す報告書「戦後日本トランスジェンダー社会史の研究(仮題)」の第1冊に収録していただく予定です。

ところで、『ひまわり』のバックナンバーを見返していると、いろいろな写真や記事が目に入ります。
今でも現役で頑張ってる方の初々しい頃の写真もおもしろいですけども、やはり、何時の間にか女装世界から姿を消してしまった人たちの姿が懐かしいです。
女装世界から脚を洗っても、お元気で充実した人生を送ってらっしゃるならいいなぁ、と思いました。
それにしても、たった6~7年前を基準にしても、現在でも活動を継続している方は、数えるほどしかいません。つくづく自分自身が歩いてきた長い道のりを思い出してしまいました。


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1999年9月10日 松岡先生のパーティの夜 [新・たそがれ日記]

1999年9月10日(松岡先生のパーティの夜)

今夜は、昨年5月の日本文化デザイン会議(秋田)でお世話になった松岡正剛先生(著述家&編集家)の新事務所お披露目パーティにお呼ばれです。
先生は、編集工学研究所所長として編集のプロ中のプロであると同時に学問・芸術にとても広い造詣をお持ちの方です(おまけに今時珍しく「男の色気」を感じさせる「いい男」です)。
秘書の方からご案内をいただいて、「あたしなんかがうかがっていいのかな?」とも思いましたけど、呼んでいただける内が華だし、久しぶりに先生にお目にかかりたかったので、出席させていただくことにしました。

夕方16時半にいつものように渋谷の美容院で着物の着付けをしてもらいました。
着物をはじめ日本文化に造詣の深い松岡先生のパーティですから、コーディネートには悩みましたけど、白地に黒で毘舎門亀甲柄をぼかした白の単の訪問着に、藤紫に金で変形市松模様を描いた帯を角出し風の変形お太鼓に結んでもらい、帯締は紫(裏は五色)、帯揚は江戸紫と紫系で統一してできるだけ涼しげになるようにしました。
簪は赤玉の一本で、赤坂という土地柄も考慮して、全体に粋な江戸風にまとめました。

地下鉄半蔵門線で青山一丁目まで行き、夕方から風が止まり9月も中旬にかかるとは思えない蒸し暑い中を地図を頼りに10分ほど歩き、赤坂の稲荷坂を上り切ったところに建つ目的のビルの手前に、

開会の18時30分ちょうどに到着しました。
受付も混雑してるだろうから汗が引くのを待って入ろうと思い、扇子で煽ぎながら汗を拭いていると、道の向こう側から「三橋さんかな?」と男性の声。振り向いて見れば松岡先生!、あわててお側に行ってお祝いとお招きの御礼を言いました。

パーティは、4階建てもビルの全フロアーとテラス、それにお庭を会場にし、推定参加者200名という大規模なもので、先生の広い交友範囲を示す芸術家・学者・編集出版関係者・プロレスラー(前田日明さん)など多彩な方々が出席されてました。
お陰で怪しげな女装家がひとり混じっていてもあまり目立たないくらいの盛大なパーティでした。

屋形舟にきてくださった筑摩書房の編集者兼評論家のFさん以外ほとんど存じ上げている方がいらっしゃらないので、パーティの前半は、書庫だけでなく各フロアーのあちこちに設置された先生の5万冊という膨大な蔵書を収めた書棚を見てまわっていました。

あたしは、表の仕事柄、人文科学系なら本棚をみるとその持ち主の関心の有り様、造詣の深さというものがある程度わかります。
図書館の分類法とは異なった松岡先生独自の、つまり先生の頭脳の中身を反映した配列でならぶ書籍群は、現代の百科全書派といえる方にふさわしい見事なコレクションでした。

お酒とお料理は、質朴ながら季節感を演出したものばかりですてきでした。
重陽の節(9月9日)の故事である菊酒(黄菊の花びらをちらしたお酒)に、9月24日の十五夜にちなんで月に見立てた丸い寄せ豆腐に、お月見にゆかりの里芋と栗おこわ、といった具合で、お庭では、たくさんのきのこが焼かれ、薄(すすき)の一叢も運び込まれていて、都会の真ん中とは思えない風流さです。

お庭できのこを食べているときに、何人かの方が、鎌倉の街の低迷を嘆き、復興プロジェクトを松岡先生に頼みたいというお話をしてました。
あたしは、昨年、表の仕事で鎌倉に行った時に、同じような嘆きを聞いていたので、聞き耳を立てていたところ、一人の方が「どういうお仕事をされているのですか?」と話し掛けてくださり、話の輪に入ることができました。

名刺を交換して話が一段落した後で、最初に話し掛けてきた方(コマーシャル制作会社のディレクター)に「コマーシャルには興味ありますか?」と尋ねられました。あたしはコマーシャル批評のことかと思い「ええ、まあ・・・」と答えると、その方は「さっきから三橋さんの横顔拝見しながら、考えているのですけど、何かいいイメージが浮かんだら出ていただけますか?」と言われました。コマーシャルに出演するという発想が全然無かった私はあわてて「いえ、女装系のコマーシャルは『タンスにゴン』のIZAMでもう十分じゃないでしょうか」と訳のわからないことを言って逃げました。

それを眺めていた鎌倉復興運動の先生が「本職は彫刻家なのですけど、モデルをしていただけないでしょうか」と言い出したので、これも笑ってごまかしました(ヌードだったら困るしなぁ・・・)。

パーティはいつ果てるともなく続いています。
蒸し暑い中、扇子使いどおしでいろいろな方とお話して、楽しかったけどもさすがに疲れてきました。
23時頃に、そろそろ失礼するつもりで、松岡先生にご挨拶に行ったのですけど、10月1日の講演会(性・ファッション・身体)や現在あたしが力を入れているトランスジェンダー社会史研究(異性装の戦後史)のお話してる内に、1階の廊下で立ったまますっかり長話になってしまいました。

その時、、おいしそうなプリンが乗ったデザートのトレイが目の前を通過しました。
先生に「食べていかれたらいかがですか」というお言葉をこれ幸いにメイン会場に戻ったところ、同じようにデザートにつられて集まっていた30~40代の女性5名ほどの集団に話し掛けられて、1時間ほどおしゃべりして記念写真まで撮るという具合にすっかり盛り上がってしまいました。

最近、あたしが波長が合うのは、もっぱらこの世代の女性でどうも「同一化」がかなり進行しているみたいです。ようやく0時30分に「お先に失礼します」と辞去しました(ということは、パーティ自体はまだ続いてる)なんと開会から6時間が経過していました。

こうした一般社会の大規模なパーティに出席したのは初めてですけども、紹介していただいた方の内、「女装の方です」の一言で引き気味になる方は、男性だと4割、女性だと2割という感じでしょうか。
逆に男性の6割、女性の8割は、少なくとも表面的にはまったく普通に接してくださいます。中には「女装家」という肩書きの名刺をお渡しして、しばらくお話してから、「あの~ぉ、お話うかがっててなんだか頭がこんがらかってきたのですけども、女性の方ですよね」とわざわざ念を押してきた「奇特な方」も二人ほどいらっしゃいました。
と言うことは、そこで「はい。女性ですよ」と答えれば、あたしでも純女で通ってしまうということでしょうか? まさかねぇ。
やっぱりその二人の「奇特な方」は、菊酒を少し召し上がりすぎていたのだと思います。

やっとパーティを辞去して、タクシーで新宿に回り、おなじみの男性客S氏と「ジュネ」で待ち合わせて2時間ほどお話のお相手して、最後にベースにしている歌舞伎町のニューハーフパブ「ミスティ」に顔を出して、閉店までちょっとお手伝いして、朝ご飯をお付きいして、家へ戻って帯を解いたのは朝の6時半。

結局、14時間、着物を着てたことになります。ああ、疲れた!

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1999年9月2日 「身体の夢」展 [新・たそがれ日記]

1999年9月2日(「身体の夢」展)

今日は、東京都現代美術館で開催中の「身体の夢」展を見に行きました。
12時15分に家を出て東急東横線から地下鉄を乗り継いで東西線の木場駅に着いたのは13時過ぎ。
ここから江東区三好にある美術館まで急ぎ足でも10分はかかります。
東京都もつくづく不便な所に美術館を建てたものです。
9月に入ったとは言え、まだまだ暑い時間帯にとことこ歩くのは嫌なのでタクシーを拾って美術館前まで行ってもらいました。

今日のあたしのファッションは、クリーム地にグリーンの波模様のタンクトップ・ワンピースにレモン・イエローの半袖カーディガン。せっかくファッションの展覧会を見にいくのですから、暑くなかったらもう少しはおしゃれをしてったかもしれませんけど、機能優先にしました。

「身体の夢」展は、「ファッションor見えないコルセット」という副題が示すように、19世紀、女性がコルセットを締めていた時代から現代、さらには近未来までの女性ファッションの展開を追うことによって、身体とファッションの文化史を明らかにしていこうという企画です(11月23日まで)。

実は、あたし、近々「性・ファッション・身体」という講座で講演を依頼されているので(10月1日 赤坂:国際交流基金国際会議場)、その勉強のためにも、見ておきたい展覧会だったのです。

19世紀のコルセットやドレスから、20世紀のファッションをリードした有名デザイナーの作品、さらには近未来のファッションを予測させる前衛的な作品まで、まるでファッションショーのように展示されていてとてもおもしろかったです。
会場には、ファッションデザイナーの卵みたいな若い女性が目立ちました。

あたしが一番興味をもって、つまり「いいなぁ」と思いながら眺めていたのは、19世紀のコルセットとドレスでした。
実はドレスフェチのあたしは、コルセットでウェストを絞り、バッスル(後ろ腰を高く盛り上げるための道具)で後ろ腰を膨らませて着用する19世紀後半のバッスル・スタイル(日本で言えば「鹿鳴館風」)のドレスを一度ちゃんと着てみたいのです。
函館で鹿鳴館風の衣装を着せて写真を撮ってくれるところがあるらしいので、そのうちFLT(フェイクレディツアー)で・・・と思ってます。

展示されていた19世紀代のコルセットの内で最も細いものはウェスト45cmのものです。
ただこれはバストも66cmですから、よほど小柄な女性か少女用ではないかと思います。
きれいなラインだなぁ、と思ったのはウェスト59cmバストも89cmのワインレッドのサテンのコルセット。
素敵だなぁ、と思ったのはウェスト48cmバストも81cmの黒に小花柄のシルク・ジャガードガーター付きのコルセット。
ゴージャスでセクシーでした。
これだけ制作年代が1907年頃と遅いので、もしかすると趣味的な要素が加わってるのかなと思いました。

笑ってしまったのは、ウェスト81cmバスト104cmのブルーグレーのコルセット。当時も中年太りに悩むオバさまがいたことがわかり、なんとなく親近感を感じました。

ところで、現在でも本格的なコルセットをオーダーメイドで作ってくれるお店が六本木にあります。
あたしは、昨年、テレビ朝日の番組でコメントした際、ロケーションで借りたお店が偶然そこだったという縁で知ったのですけど、ランジェリーに凝る女性には有名なお店のようです。
店主であり制作者であるきれいなお姉さんに「その内、お願いに来ます」と言っておきながら、もう1年半もそのままになってます。と言うのも、せっかく作るのなら、もう少し痩せてから細みのものを・・・、という野心があったからです。
でも野心が実現に向かう気配もまったく無く・・・。
会場で、ウェスト81cmバスト104cmの太めのコルセットを眺めながら、あたしがオーダーしたコルセットがこうならないようにダイエットに励もうと誓いました。

帰りは、暑さも少し和らいだので、地下鉄都営新宿線の菊川駅まで歩いて都営新宿線に乗り、新宿で少し買い物をして帰りました。


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1999年8月7日 東京湾納涼船(その2) [新・たそがれ日記]

1999年8月7日 東京湾納涼船(その2)

JR浜松町駅から浜離宮を右手に見ながらトコトコ歩いて竹芝桟橋に着いたのは、集合時間の1時間前の17時。
時間が余ってるので、桟橋を見下ろす公園で接岸するお船や東京湾の景色をウーロン茶片手にのんびり眺めていたら、何やら人が並び出しました。
「これ何の行列ですか?」と尋ねると「納涼船の行列です」との答え。それじゃあ、ということで、あたしも列に並びました。
やがて集合時間の18時、仲間たちも全員集まり18時40分に乗船となりました。
早くに並んだかいがあって、上甲板の舷側の絶好のスペースを占めることができました。
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まずは仲間たちと乾杯、その内にお船が動き出し、しばらくは、湾岸の夜景を眺めながらビールとお摘みでおなかを満たします。
やがて、演奏し始めたバンドの音楽に促されるように藍染めの江戸風の浴衣を粋に着こなした美樹姉さんが席を立ち行動開始です。
頃合いを見て探してみると、後部甲板に陣取った10数名ほどのオジさんグループの輪に入っているのを発見。
側へいくと「おネエさんもどうぞどうぞ」と座らされてしまい、結局、例によって即席コンパニオンということになりました。

オジさんのひとりに「おネエさんたちはおとなしいね。去年一緒になった女装の人達は、並んでいる時から音入りでいろいろデモンストレーションしてたよ」と言われたので、「はは~ん、E館の連中はそんなことをしてるのか」と思い、「それはたぶん亀戸の素人の女装クラブの人達で、あたしたちは新宿ですから」と答えました。
「新宿って2丁目?」「いえ、歌舞伎町です」。これも定番のやり取り。
一般の人は、ゲイと女装との区別があやふやなので、女装者を見るとゲイタウンである新宿2丁目を連想してしまうのです。

会話が一段落すると今度は写真撮影、次から次へとオジさん7~8人とツーショットです。
ところでオジさんたちは、この写真をどう使うのでしょうか。たぶん、奥さんや会社の同僚に「どうだい、いい女だろう。俺もまだまだモテるんだぜ」と見せびらかして、ちょっとの間、ヤキモチやかせたり、うらやましがらせたりしておいて「でも、この娘、実は男なんだよ」と種明かしをして楽しむのだと思います。
まあ、それでもいいかな、と最近は思えるようになりました。
家庭や職場のちょっとした潤滑財としてお役に立つのも異性装者の社会的機能のひとつなのかもしれないなぁ、なんて・・・。
20分ほどオジさんたちのお相手をして、身入りはビール1杯、太巻き寿司2ケ、鳥の唐揚げ1ケ、煮物若干でした(なんて安いコンパニオン!)。

陣地に戻ってみると、フロアーではちょうどリンボー・ダンスのコンテストが始まっていたので、酔った勢いで挑戦しました。
最初の110cmは司会者に「ビューティフル!」と誉められながら軽くクリアー。
ところがバーが一気に90cmまで下がった2回目は、帯結がつかえて腰が十分に反れず、胸の膨らみでバーを落としてしまい、あっけなくリタイア。
これでも少年時代は身体が柔らかくてリンボー・ダンスは得意だったのになぁ(いったい何年前の話?)。

リンボー・コンテストが終わる頃には残り時間30分となり、フロアーは終盤のディスコタイムに突入です。
暑さと人いきれの中、浴衣姿で疲れ知らずに踊り続ける美樹姉さんを感心しながら眺めていたら、陽気なオバさんのグループに「おネエさんも一緒に踊ろうよ」と踊りの輪に引き込まれてしまいました。
30代後半から40代くらいのオバさんたちと向き合い、手を取り合いして楽しく踊ること数曲。
汗が噴き出て息が上がるまで久しぶりに思い切り踊ってしまいました。

そろそろ帰港予定の21時です。
グループの集合写真を撮って、すばやく撤収。
下船する時、さっきお相手をしたオジさんたちが「俺たち来年も8月第1土曜だからさ」と言ってきたので「じゃあ来年またね」と応じて、今度は一緒に踊ったオバさんたちに「楽しかったです。ありがとうございました」と挨拶したら、オバさんのひとりが「あっ、思い出した!おネエさんたち、上野でお花見してたでしょう」と言い出しました。

「ええ、あたしたち上野公園で毎年の4月の第1土曜ですけど」と答えると、「やっぱりそうだわ。じゃあ来年のお花見でまた会えるのね」と喜んでくれました。

納涼船の楽しみは、こうした一般の人達との交流にあると、あたしは思います。
確かに一般の人達にとってあたしたちは「物珍しい」のかもしれません。
だけど、拒絶したり嫌悪したりする反応に出会ったことはほとんどありません。日本の大衆社会は、異性装者を受け止めるだけの柔軟性を備えているのです。
これってけっこうすごいことだし、大事なことだとあたしは思うのです。

熱気にあふれた船上から地上に戻って心なしか風が涼しくなったみたいです。
あたしは、美樹姉さんとイベント初参加のS氏と共にタクシーで新宿歌舞伎町「ミスティ」に向かいました。
時間は21時30分、踊り疲れてはいるけれど、夜はまだまだこれからです。

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1999年8月7日 東京湾納涼船(その1) [新・たそがれ日記]

1999年8月7日(東京湾納涼船1)

今日はクラブ・フェイクレディの夏の定番イベント「東京湾納涼船・カリビアンナイトクルージング」の日です。
東海汽船の大島航路の定期船が17時過ぎに帰港して23時半の出航までの間に、お船丸ごとアルバイトをするこの船上ビアホールの楽しさを、あたしは女装クラブ時代に教えてもらいました。
船という閉ざされた空間で2時間を共にすることで、一般の方とあたしたち女装者との距離が近くなり、ビールの酔いも手伝って和気あいあいの交流が生まれるからです。

という訳で、あたしとしてはかなり思い入れのある企画なのですけど、今年はクラブ・フェイクレディの広報媒体をインターネット環境に移したばかりのせいか、あるいは女装者の嗜好が変わってきたせいか、7人(女装4・女性1・男性2)という少人数での挙行になりました。
女装人口が増えたような気がしても、それは夜の世界の話で昼間から堂々と外へ出られる人の数は相変わらず少ないし、まして真夏、クーラーの効かない船の甲板という厳しい環境に耐えられるだけのメイク・テクニックをもってる人はさらに少ないのです。
それに若い女装娘たちにとっては、大衆的な船上ビアホールよりも、高いお金を出しても空調の効いたおしゃれな船室でフランス料理をいただく「サンセット・ディナー・クルージング」の方がお好みなのかもしれません。

15時半、いつものように渋谷の美容室に行き、着付けをしてもらいます。
今日の浴衣は、濃淡の鼠地に大輪の黄菊をいっぱいに描いた「竺仙」(浴衣地のブランド)、数日前に仕立て上がったばかりの初下ろしです。
着付けの担当の方に「花火が一斉に開いたみたいな感じですね」と言われたようにかなりインパクトのある柄ですけども、着付けてみると濃淡のぼかしが入っている分、ちょっと抑さえた感じになります。
帯は、かわいらしさを添えたいので黄色の上に赤の縞帯を重ねた2本巻の変形文庫結び。
「派手で、粋で、女らしい」順子の着物コンセプトそのままのコーディネートです。着付けが終わってビルの1階に降りてきた時、花屋さんにあたしの浴衣とよく似た黄菊があるのに気づき「一本下さい」と買い求め(210円)、「髪に刺すので」と短くカットしてもらいました。

それを持って渋谷東横店の「ハイネット」に駆け込み、落ちないようにしっかりセットしてもらいました。これで準備完了、山の手線で浜松町に向かいました。(続く)
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1999年8月4日 お買い物外出 [新・たそがれ日記]

1999年8月4日(お買い物外出)

5年前「たそがれ日記」を書き始めた季節は秋だったので、それなりに風情のある書き出しができました。ところが、今回の「新・たそがれ日記」は何の因果か真夏に書き出さなくてはなりません。
今日も東京の最高気温は34度、梅雨明けからもうずっと真夏日(最高気温が30度以上)が続いてます。今、外出から帰って一息入れて文章を考えているのですけど、「暑い!」という言葉しか頭に浮かんできません。
だから、暑い話から書き始めます。

さっき外から帰ってきた時は、顔から体から水をかぶったみたいな状態でした。
汗かきの体質は男の子時代からで、悲しいことにいくら頑張って「女」しても汗腺の数だけは減らないのです。
この季節だけは、お絞りで豪快に顔の汗をぬぐえた頃が懐かしくなります。
そんなに汗をかいてメイクが崩れないのかと思う方もいらっしゃるでしょうけど、そこはまあダテに長年おネエちゃんをやってません。
あたしのメイクはもともと耐水メイクなのです。

さて、これだけ暑いと、何も着たくなくなります。
でも何も着ないで外に出ると警察に捕まってしまうので、最低限の布地だけを身に纏うことになります。
という訳で、今日はまだまだ暑い盛りの15時半、豹柄のキャミソールドレス(丈はちょっと長目で膝上15cm)、生足にサンダルという涼しいファッションでお買い物に出かけてきました。

まず、地元商店街のブティックをめぐって、夏物最終バーゲン品を物色。あるブティックでマリンブルーから紫へとグラディエーションする光沢感ある色合いのボディコンシャスなミニワンピースを発見。
たぶんあまりに派手派手なため売れ残ったのだと思いますけど、これこそまさに順子ちゃんのための色合い!。
ただこのお品、布地が胸元でクロスするカシュクールデザインで、それなりの胸の膨らみがないと似合わないタイプです。
少し迷ったけども、毎日飲んでる天然エストロゲンたっぷりの「カゴメざくろジュース」のお陰か、最近、少し膨らんできたような気がするので思い切って購入しました。ちなみにお値段は正価17800円が3900円の激安!。
毎度のことながら服の値段ってなんなのでしょう?。

次は電車に乗って池袋へ。
「三松池袋パルコ店」で仕立てを頼んでおいた浴衣を受け取りました。去年の夏の終わりに見切り値段で買っておいた鼠地に大き目の黄菊を描いた「竺仙」(浴衣地の高級ブランド)の反物を仕立てたのだけど、うっかり頼むのが遅くなってしまい、かなり無理を言って今週末のイベント(納涼船)に間に合わせてもらったのです。

それから渋谷に戻って、東急東横店の「花王ソフィーナ」のショップで夏用の化粧水とファンデーション、同じフロアーの「ハイネット」でウィッグ・コンディショナーを補充しました。
そして向かいのビルにあるJ美容院に行き、先週(隅田川の花火)浴衣を着付けてもらった時に預けておいた荷物(着替えた洋服)を回収しました。

これで今日の用事はおしまい。
あわただしい外出でしたけども、一月に一度くらいは今日のようにお店が開いている時間に出かけて、買い物や雑用を片づけないと「おネエちゃんライフ」が維持できないのです。


18時、暑い中を動き回って喉が渇いたので、東急プラザ1Fの喫茶店で、アールグレイのアイスティとフルーツ・タルトで休憩しました。周りはデートの待ち合わせのカップルばかり。でもいいのです。負け惜しみじゃなく、あたしは、遅い午後、ひとりでお茶を飲んでるのが似合う女になりたかったのですから。たとえ、周囲の人には「あっ、オカマがお茶飲んでる」と思われて、こうやって「女一人」、喫茶店の窓から見える夏のたそがれ時の渋谷の街を眺めながら、のんびり夕方のお茶してるのが、あたしにとっての幸せな時間なのです。

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「たそがれ」という言葉が好き(「新・たそがれ日記」序文) [新・たそがれ日記]

「たそがれ」という言葉が好き(「新・たそがれ日記」序文)

薄暗くなり人の顔が見分けにくくなって「誰そ、彼は」(「誰れ?あの人は」)って問うたという語源をもつこの言葉の語感も好きだけど、実際のたそがれ時の雰囲気があたしは好きだ。
 
さっきまで茜色に染まっていた夕焼け雲がいつの間にか暗い紫色に変わり、見上げた空にそびえる高層ビルに灯る部屋の明かりが急に輝きを増してくるころ、家路を急ぐ人、勤帰り の寄り道を楽しもうという人の群れで街が少しあわただしさを加えるころ、とりわけあざやかに色づいた銀杏の並木の黄色が灯ったばかりの街灯の光に浮かんで、寒さを迎える中にもどこか心暖かさを感じるような晩秋のたそがれ時があたしは好き。ビルとビルの間の狭い路地から薄くひろがりはじめる夕闇はあたしの味方。とあたしを誘っているような気がする。
 
「さぁ、これからがあなたの時間よ」
(『ひまわり』14号掲載 「順子のたそがれ日記(1)」の冒頭部分)

「たそがれ日記」は、アマチュア女装雑誌『ひまわり』14~17号(1994年1月~10月)に連載した順子の1993年9月から1994年8月までの日記です。
この期間は、私の女装クラブ時代の最後の1年間に相当し、結果的に順子というひとりの「女」の自立への歩みを記したものになり「女装日記文学の記念碑的作品」(キャンディ・ミルキィ師談)という評価をいただきました。

秋本明香嬢・岡野香菜嬢というふたりの「妹分」との交友の思い出とともに、私にとって最も心に残る作品です。
 
今回、インターネットのホームページに日記を掲載するにあたり、この懐かしい日記の題名を踏襲することにしました。
「たそがれ日記」の完結から5年近くの歳月がたち、「女」としての私の活動や交友範囲は、その頃には想像もしなかったほど広がりました。
「新・たそがれ日記」では、現代という時代の直中を生きる「女」、順子の活動と心情を綴っていこうと思います。

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2008年5月 北海道札幌市:定山渓温泉、北見市:温根湯温泉 [旅]

2008年5月

5月の連休に、家猫さんと北海道札幌の定山渓温泉と、北見市の温根湯温泉に行ってきました。

定山渓温泉は、開湯130年、北海道では古手の温泉で、登別、湯の川(函館)と並んで、北海道の三大名湯とされています。

お宿は、「定山渓ビューホテル」。
夜遅く、最上階の展望風呂に入りました。
泉質は、ナトリウム-塩化物泉(低張性)、泉温は64.3度。
無色無臭のさらっとしたお湯ですけども、嘗めるとかなり塩辛く、海からかなり遠い山の中なのに、不思議な気がします。
保温性は高いようで、それほど長く入っていなかったのに、身体はずいぶん温りました。


北見市の温根湯温泉は、明治32年創業の同温泉の草分け「大江本家」に泊まりました。
お湯は、アルカリ性単純泉で、泉温49.2度で、加温・加水なしの純度100%源泉かけ流しです。
無色透明で、わずかに硫化水素臭がします。
「美白の湯」として知られるだけに、アルカリ泉特有の滑りがとても強く、滑らないように注意が必要です。

入ったのが、夜中だったので人少な。
微妙に泉質・温度が異なる浴槽に、順番にゆったり浸かってきました。
気持ちい~ぃ。


2008年2月21日 埼玉県秩父市:新木鉱泉 [旅]

2008年2月21日

仲良しの友人と私の故郷、埼玉県秩父市の「新木鉱泉」に行って来ました。
http://www.onsen-yado.net/

文政10年(1827)創業、「御代の湯」として秩父七湯の一つに数えられる古い鉱泉宿。
かっては秩父観音霊場34箇所をめぐる巡礼客で賑わいましたが、私が子供の頃は、地味なお宿で、観光客が泊まるような宿ではありませんでした。
それが当代になってから、創業時の重厚な建物を生かす形でリニューアルし、秩父でも有数のレベルのお宿に。
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お部屋は、私の身体のことがあるので、例によって露天風呂付きのお部屋。
部屋から1段高い所に作られたベランダに丸い檜の桶が設えられ、湯気を上げています。
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丸い檜の湯船は、壁にもたれて脚を真っ直ぐに伸ばせるくらいの大きさで、2人ならゆっくり入れます。

お湯は無色無臭無味、少しツルっとした感じがあって、肌に心地よいです。
ph値:9.4、泉温:14.8度、泉質は単純硫黄冷鉱泉(低張性・アルカリ性・冷鉱泉)。
後で、温泉成分表を見たら、陽イオンはナトリウムイオン95%、陰イオンは炭酸水素イオン68%、硫酸イオン17%が卓越しています。
硫酸イオン17%というところがポイントでしょう。
加熱して、ややぬるめの湯温(40度くらい)になっていますが、身体はよく暖まりました。

お湯が溢れた分は補充されて、いつでも一定の湯量を維持する仕組み(おそらくコンピューター管理)で、構造的には先週泊った伊豆山温泉のお宿の露天風呂と同じシステムのように思います。

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